ネッロ・サンティ先生から授かった「技」と「心」

アーリドラーテ歌劇団-Teatro Verdi di Tokyo-
指揮・総合プロデュース
山島 達夫

2020年2月6日、ネッロ・サンティ先生が88歳で天に召された。

サンティ先生は1931年9月22日、イタリアのアドリア生まれ。1951年、パドヴァのヴェルディ歌劇場にて《リゴレット》を指揮しデビュー。1958年には若くしてチューリヒ歌劇場の音楽監督に就任、1969年の退任後も指揮者陣の一人として密接な関係が続いた。1962年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。以来、30年以上にわたり良好な関係が続いた。他にもウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、コヴェント・ガーデン王立劇場、ザルツブルク音楽祭、イタリア各地の歌劇場の指揮台に立った。コンサート指揮者としても成功をおさめ、1986年より97年までバーゼル放送交響楽団の首席指揮者を務めた。日本へは1999年の読響への客演以来、たびたび来日しており、N響には通算10回来演するなど、お馴染みの巨匠であった。

サンティ先生は、職人的指揮者としての膨大な経験はもとより、舞台芸術として捉えた上でのスコアに対する洞察力の深さ、歌手や奏者の息遣いに対する慧眼、そして作品・劇場・人々に対する感謝と敬虔の念において、イタリア・オペラの伝統を体現する最後の巨匠であった。ヴェルディ指揮者としての私の考えには、サンティ先生から授かったものが脈々と流れていると感じている。

本稿では、サンティ先生との出会いから、楽屋やリハーサルでの交流を振り返ることで、私が心から敬愛したマエストロを追悼することとしたい。

(2017年1月 ナポリ サン・カルロ劇場)

■オペラ指揮者としての情熱への再点火

私がサンティ先生の実演に初めて接したのは、2007年11月のN響《ラ・ボエーム》。当時の私は弁護士3年目。リーマンショック前の好景気に沸き、毎月の労働時間が300~400時間という日々が続いていた。演奏会に行くなど、およそ不可能な状況にあったが、何かに引き寄せられるようにNHKホールに向かった。そして、雷に打たれたかのような衝撃を受けるとともに、忘れかけていたオペラへの情熱に再び火がついたのを覚えている。

以来、サンティ先生の指揮する演奏会には、僅かな隙間を見つけて、何度となく通うようになった。また、時期を同じくして、アーリドラーテ歌劇団の立ち上げが決まる。オペラ指揮者として歩み始めるにあたり、マエストロの指揮を現地で観たいという気持ちが高まった。

2011年4月、ついに念願が叶い、サンティ先生の指揮するチューリッヒ歌劇場《仮面舞踏会》を観劇した。このときの印象を、私は以下のように書き留めている。

マエストロの紡ぎ出すヴェルディの世界は、もはや「神」の領域である。「音楽」という枠を超え、総合芸術としてのオペラの屋台骨をなす「演奏」のあり方を明確に示す超名演であった。例えば、フォルテ一つをとっても、場面によって音色は千差万別。マエストロは、アウフタクトの溜めの微妙な差異により、場面に最適なフォルテをしっかりと鳴らす。他方、ピアニシモでは、ヴェルディ最晩年にも見られるような枯れた表情を窺わせる。メロディはよく歌わせ、でもその末尾は自然におさめて次への橋渡しとする。アレグロは、まさにアレグロ。駆け足でも早歩きでもない。無論、歌とオーケストラのバランスも本当に完璧である。スコアに記されたあらゆるサインを一つの芸術として昇華させているのだ。

2011年7月から半年間、研修でブリュッセルに滞在する機会を得た私は、オーストリア、ドイツ、イタリアを中心に、毎週末にオペラや演奏会を梯子する計画を実行。その数は合計で100公演を超えたが、この間、サンティ先生の指揮するチューリッヒ歌劇場にも通い、同年9月《リゴレット》、同年10月《ドン・パスクワーレ》と《セビリャの理髪師》を観劇することができた。

なかでもヌッチ主演の《リゴレット》は、実に感慨深い舞台であった。

2006年の収録と比べると、マエストロ・サンティの描く音楽は、より深遠な世界観に到達しており、研ぎ澄まされた弱音部における枯れた響きは、いわゆる通常のヴェルディ演奏の枠を完全に飛び越えている。ダムラウのキャンセルという事態はあったが、その結果、逆に多くのことを学ぶことができた。急な代役という状況下で、マエストロが試行錯誤をしながら、ベストに近い上演に仕上げていく過程を、生で観ることができたわけである。マエストロ・サンティの持つ引き出しの多さ、そしてその卓越したコントロール能力には、完全に脱帽である。

(2017年11月 ミラノ・スカラ座)

■サンティ先生が指揮した舞台のほぼ全演目を観劇

こうして私は、サンティ先生の追っかけを始めた。

ブリュッセルから帰国後は、サンティ先生が指揮した舞台は、ほぼ全演目を観劇。詳細は末尾別表のとおりで、その都度、深夜便で往復する最短3泊5日の日程で、日本から弾丸で飛んでいる。

2013年からは、同一演目の複数公演を連続して見比べ、上演日による違いや変化を観察することも始めた。楽屋口での出待ちも開始し、サンティ先生にも徐々に顔を覚えていただけるようになった。

なお、私が観劇するときはいつも、オーケストラピットの真横か、平土間最前列の座席を確保し、マエストロの指揮姿に全神経を注いでいた。指揮技術の観察と思考過程の追体験を最大の目的としていたからである。晩年10年間に限れば、ご家族以外では、サンティ先生の指揮を最も多く見届けてきたと自負している。

(2015年1月 ナポリ サン・カルロ劇場 楽屋)

■楽屋への突撃からリハーサル見学へ

楽屋に初めて突撃できたのは、2015年1月のサン・カルロ劇場《アンドレア・シェニエ》。顔を合わせた瞬間に「あぁ!」という嬉しい一言。これを契機として、終演後には楽屋へ詣でるようになり、帰り際には笑顔で「次はいつ?また会おう!」と固い握手で再会を誓うのが恒例となった。

そして2016年のフェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》でお会いした際には、自己紹介を内容とする手紙をお渡しするとともに、リハーサルを見学させて欲しいと直談判。すると、「早く言ってくれればよかったのに!」と、満面の笑みで、その場でご快諾いただいた。

(2017年1月 ナポリ サン・カルロ劇場 舞台裏)

欧州の歌劇場でのリハーサルは、多くの場合、数週間からひと月前頃からリハーサルが開始される。作品や劇場によって様々ではあるが、マエストロが携わるものとしては、歌手との音楽稽古が2~3コマ、合唱の音楽稽古が1コマ、オーケストラとのリハーサルが2~3コマ、歌オケ合わせが1~2コマ。これに、数回の舞台稽古とGPが続いて、本番を迎えるのが通常のようである。なお、いわゆる演出稽古が別に並行して行われる。

私が見学できたリハーサルは、2017年1月のサン・カルロ劇場《リゴレット》、2017年10~11月のスカラ座《ナブッコ》、そして2019年2月のチューリッヒ歌劇場《ランメルモールのルチア》の3演目。

それぞれにつき、約1週間にわたり、マエストロによる歌手との音楽稽古やオーケストラとのリハーサルを連日のように見学した(本音を言えば、舞台稽古や通し稽古まで含めて見学したかったが、そうするとリハーサル開始から公演まで1か月以上も日本を留守にすることとなり、弁護士業が成り立たなくなる。そのため、リハーサルを見学したのち、いったん日本に帰り、2、3週間後に再び現地に飛ぶことで対応した。私のスケジュールが話題にのぼると、サンティ先生やご家族からは、いつも労いの言葉をいただいた。)。

(2017年10月 ミラノ・スカラ座 リハーサル室)
(2019年2月 チューリッヒ歌劇場 リハーサル室)

サンティ先生は、歌手との音楽稽古では、ブレスの位置やディクション、そしてフレージングについて、過去の偉人を例に挙げながら、自ら実演し、一つずつ伝授していく。サンティ先生の息遣いや左手に導かれると、それまで硬かった歌声が、たちどころに伸びやかなベルカントな歌唱へと変貌する。声にどんどん輝きが増し、ドラマが宿る過程は、神業としかいいようがない。

休憩時間には、サンティ先生のまわりには、いつも団らんの輪が広がり、歌手たちは皆、サンティ先生の含蓄に富んだ昔語りに耳を傾ける。歌手陣と肩を並べながら、圧倒的なオーラに包まれる中で、リハーサルを見学できたことは、一生モノの経験である。

一方、オーケストラとのリハーサルでは、サンティ先生が自ら歌いながら、絶妙な呼吸とアウフタクトで彩りを添えていく。

冒頭から流しながらも、勘所を押さえた指示と、こだわり所の取り出し方は、簡にして要を得た実に見事な職人技である。サン・カルロ劇場、スカラ座、チューリッヒ歌劇場のそれぞれに、個性や持ち味があって面白い。部屋の隅から見学していても、活き活きとした音色と、密度の濃い音圧が、直接肌に伝わってくる。

なお、チューリッヒ歌劇場の歌オケ合わせでは、マエストロの真後ろの席で見学する機会を得たが、各所から発せられた多様なエネルギーが一つに集まろうとする熱い空気に圧倒された。

(2017年10月 ミラノ・スカラ座 リハーサル室)
(2019年2月 チューリッヒ歌劇場 リハーサル室)

私が知る限り、サンティ先生は、弟子を採らない。外部エージェントや音楽マネジメント会社のサポートを受けておらず、全てがアットホームな家族経営であった。それゆえ、リハーサルの見学者は、世話役の奥様、マネージャー役のご子息、そして私。そこに時々、イタリアの若い指揮者2名が加わるのみ。

ある時、サン・カルロ劇場《リゴレット》のリハーサルの合間のことであるが、サンティ先生が私に語りかけてきたことがある。「君はリゴレットを指揮したから、よく分かっているだろう」と。コクリと頷くと、サンティ先生はこれに続けて「でも僕は、65年以上前から知っている(ニヤッ)」。このひと言を残すと、指揮台へと戻られた(上述のとおり、サンティ先生は1951年にパドヴァのヴェルディ歌劇場《リゴレット》を指揮してデビューしている。)。笑い話ではあるが、私が手紙に記した内容まで把握され、目をかけていただけていることの証でもあった。このときの感激は、今でも昨日のことのように思い出される。

(2017年11月 ミラノ・スカラ座 楽屋)

■サンティ先生の音楽の魅力とは

サンティ先生の音楽の魅力は、シンプルかつ理論的な造形の上に展開する自然体にあるといえるかもしれない。

和声と伝統様式に立脚した骨太な設計をベースに、カンタービレを温かく瑞々しく花開かせる。快活でありながら、急かさず煽らず、着実な歩みの中で、声の輝き、言葉のドラマ性、歌手たちの表現意欲を極限まで引き出す。歌詞の全てが音楽の流れの中に完璧に収まることで、フレーズと言葉に推進力が生まれる。そして、喜怒哀楽、とりわけ愛情、感謝、優しさ、幸せが、気品を伴って織り込まれるのである。一方、要所では、ドラマを浮き上がらせる絶妙な陰影を挿し込むことで、奥行きと味わいが広がる。特に晩年は、枯山水のごとく澄み渡った明るさを垣間見ることもあった。

何よりも凄いのは、上演のたびに、テンポも表情も間合いも全て変えてくることである。歌手のコンディションは日によって異なるのが常だが、サンティ先生は、個々の歌手の第一声を聞くだけで、瞬時に状態を察知し、その日の声に合った流れに寄せていく。引き締めたり緩めたり、調子が悪そうであれば、導きの助け舟を出したり、逆に調子に乗っていれば、あえてギリギリを攻めて覚醒を狙ったりと、その引き出しの多さは、魔術師のよう。

そのため、同じ歌手陣であっても、生まれる音楽は、日によって全く別物となる。攻めすぎてアンサンブルが崩壊しかけることもたまにあった(そういうときは、終演後に楽屋で「今日はどうだった?」と満面の笑みで私に問いかけるのが常であった)が、事前の仕込みをベースにしつつ、予定調和に陥らず、一から構築し直し、毎回新鮮な舞台を創出するという意味において、「劇場」に「生命」と「魂」を宿らせるとともに、歌として、また芝居として、一つの世界観のもとに「昇華」させることのできる唯一無二のマエストロであった。

(2019年2月 チューリッヒ歌劇場)

■皆に愛されたマエストロ

晩年のサンティ先生は、どの劇場でもブラボーの大合唱により迎え入れられるのが常であったが、ホームグラウンドであるチューリッヒ歌劇場は、やはり特別な場であった。60年間続くこの劇場との密接な信頼関係は揺るぎない。

マエストロが登場しただけで、割れんばかりの拍手と喝采に沸き、客席が、オーケストラピットが、劇場全体が笑顔に満ちる。音楽が始まれば、サンティ先生が導く音楽の全瞬間を心に刻むべく、演奏者と聴衆が一体となった特別な時間が紡ぎ出される。そしてカーテンコールでは、客席は総立ちでマエストロを迎え、愛に満ちた温かな雰囲気に包まれながら幕が下りる。

舞台裏でも、マエストロが出演者やスタッフの全員から尊敬され、愛されていることが一目瞭然。廊下ですれ違うと、全員が足を止め、笑顔で挨拶、そして雑談に花を咲かせる。そして楽屋には、ご自宅のような寛ぎと癒しが満ち溢れていた。サンティ先生の音楽に対する真摯な姿勢、そして飾らない温かなお人柄ゆえであろう。

(2019年2月 チューリッヒ歌劇場)
(2019年2月 チューリッヒ歌劇場)

これほど偉大なマエストロとそのご家族が、私のような若者に対して、類い稀な包容力をもって接し、これほど親身になり続けてくれたということは、通常はあり得ない。むしろ今でも信じられないくらいである。

しかし、奇跡とはいえ、サンティ先生から学びを得たことで、私は幸いにも、オペラ指揮者としての「礎」を授けていただけたと信じており、オペラ指揮者の作法、劇場での職人魂、そして音楽に対する敬虔な愛情を知ることができたと感じている。

(2019年2月 チューリッヒ歌劇場 楽屋)
(2019年2月 チューリッヒ歌劇場 楽屋)

晩年のマエストロの指揮を最も多く観た数少ない継承者のひとりとして、私も微力ながらも、オペラ指揮者として、舞台人として、ヴェルディ先生に捧げる人生を歩んでいこうと思う次第である。

※本稿は、日本ヴェルディ協会の会報誌《VERDIANA》第43号に寄稿した記事を一部改変して掲載したものです。

(別表)欧州で観劇したサンティ先生の指揮による舞台の一覧

2011/4/29 – チューリッヒ歌劇場《仮面舞踏会》- Pountney, Beczala, Cedolins, Stoyanov, Naef, Guo
2011/9/18 – チューリッヒ歌劇場《リゴレット》- Deflo, Nucci, Beczala, Guo, Daniluk, Peetz
2011/10/28 – チューリッヒ歌劇場《ドン・パスクワーレ》- Asagaroff, Raimondi, Rey, Mihai, Widmer, Helgesson
2011/10/29 – チューリッヒ歌劇場《セビリャの理髪師》- Lievi, Cavalletti, Daletska, Zeffiri, Chausson
2012/5/23 – チューリッヒ歌劇場《ポリウート》 – Michieletto, Pisapia, Cedolins, Cavalletti, Zanellato
2012/5/24 – チューリッヒ歌劇場《仮面舞踏会》 – Pountney, Beczala, Georgieva, Stoyanov, Pentcheva, Guo
2012/11/24 – チューリッヒ歌劇場《仮面舞踏会》- Pountney, Vargas, Serjan, Markov, Naef, Guo
2013/4/26 – チューリッヒ歌劇場《ファルスタッフ》 – Bechtolf, Maestri, Moșuc, Cavalletti, Guo, Camarena, Schmid, Naef
2013/4/28 – チューリッヒ歌劇場《ファルスタッフ》 – Bechtolf, Maestri, Moșuc, Cavalletti, Guo, Camarena, Schmid, Naef
2013/12/28 – チューリッヒ歌劇場《ラ・ボエーム》- Sireuil, Rutkowski, Sherbachenko, Viviani, Rusko, Tsiple, Conner
2014/5/4 – チューリッヒ歌劇場《アンドレア・シェニエ》 – Asagaroff, Lee, Serafin, Gallo, Tsiple
2015/1/28 – サン・カルロ劇場《アンドレア・シェニエ》 – Puggelli, SK Park, Viviani, Dika, Sagona
2015/1/29 – サン・カルロ劇場《アンドレア・シェニエ》 – Puggelli, Palombi, Murzaev, Pirozzi, Sagona
2015/4/25 – チューリッヒ歌劇場《ランメルモールのルチア》 – Michieletto, Sierra, Jordi, Ruciński, Bernheim, Zhang
2016/4/9 – フェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》 – Carsen, Nuccio, Cortellazzi, Fabbian
2016/4/10 – フェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》 – Carsen, Dotto, Jordi, Grassi
2016/4/12 – フェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》 – Carsen, Dotto, Cortellazzi, Grassi
2016/9/11 – フェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》 – Carsen, Schiavo, Pop, Platanias
2016/9/13 – フェニーチェ劇場《ラ・トラヴィアータ》 – Carsen, Schiavo, Pop, Platanias
2017/1/24 – サン・カルロ劇場《リゴレット》 – Cobelli, Petean, Pretti, Feola, Malavasi, Di Matteo
2017/1/25 – サン・カルロ劇場《リゴレット》 – Cobelli, Amartuvshin, Pop, Nuccio, Rinaldi, Giuseppini
2017/1/26 – サン・カルロ劇場《リゴレット》 – Cobelli, Petean, Pretti, Feola, Malavasi, Giuseppini
2017/3/3 – スカラ座《ラ・トラヴィアータ》 – Cavani, Perez, Magrì, Nucci
2017/3/5 – スカラ座《ラ・トラヴィアータ》 – Cavani, Perez, Meli, Nucci
2017/4/7 – チューリッヒ歌劇場《愛の妙薬》 – Asagaroff, Kulchynska, Gatell, Molnár, Girolami, Kristoffersen
2017/4/9 – チューリッヒ歌劇場《愛の妙薬》 – Asagaroff, Kulchynska, Breslik, Molnár, Girolami, Kristoffersen
2017/11/16 – スカラ座《ナブッコ》 – Abbado, Nucci, Pirozzi, Stroppa, La Colla, Petrenko
2017/11/19 – スカラ座《ナブッコ》 – Abbado, Nucci, Pirozzi, Stroppa, La Colla, Petrenko
2019/2/22 – チューリッヒ歌劇場《ランメルモールのルチア》 – Michieletto, Minasyan, Jordi, Ruciński, Sanchez, Zhang
2019/2/26 – チューリッヒ歌劇場《ランメルモールのルチア》 – Michieletto, Gimadieva, Jordi, Ruciński, Sanchez, Zhang

(注1)当初の予定では、上記以外に、2014年8月にはザルツブルク音楽祭《ラ・ファヴォリータ》、2015年9月にはスカラ座《愛の妙薬》、2018年5月にはスカラ座《アイーダ》、2018年10月(当初は同年6月)にはサン・カルロ劇場《ナブッコ》の指揮も予定されていたが、いずれも降板している。
(注2)2016年2月にはサン・カルロ劇場《ノルマ》(デヴィーア主演)を指揮している。私はチケットを入手済みであったが、諸般の事情により諦めざるを得ない状況となり、観劇を果たせなかった。なお、2011年7月以降に私のスケジュールの都合により観劇を断念したのは、この《ノルマ》以外では、2011年12月のチューリッヒ歌劇場《愛の妙薬》、2012年2月及び2017年2月のチューリッヒ歌劇場《ランメルモールのルチア》、2014年5月のサン・カルロ劇場《道化師》のみである。