アーリドラーテ歌劇団-Teatro Verdi di Tokyo-
指揮・総合プロデュース
山島 達夫
アーリドラーテ歌劇団の活動のご紹介
アーリドラーテ歌劇団は、ヴェルディ作品の全幕上演に特化したオペラ団体です。
以下では、弁護士である私が、オペラに開眼し、ヴェルディに魅せられ、自ら団体を旗揚げし、ライフワークとしてヴェルディの自主上演の指揮・制作に取り組むようになった経緯、及び第5回公演《イル・トロヴァトーレ》(2017年7月)の成果等について、私自身の自己紹介も兼ねて、簡単にご紹介させていただきます。
(日本ヴェルディ協会の会報誌「VERDIANA」第40号(2017年12月発行)に寄稿した文章をもとに、若干の調整を加えました。)
アーリドラーテ歌劇団とは
ご存じのとおり「アーリドラーテ」とは、「黄金の翼」の意のイタリア語で、ヴェルディの出世作《ナブッコ(ナブコドーノゾル)》に登場する合唱曲〈行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って〉に由来します。
上演記録
- 2011年1月16日《ラ・トラヴィアータ》(所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)
- 2013年3月3日《仮面舞踏会》(所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)
- 2014年9月6・7日《リゴレット》(テアトロ・ジーリオ・ショウワ)
- 2015年9月20・21日《ドン・カルロ》(テアトロ・ジーリオ・ショウワ)→舞台写真はこちら
- 2017年7月8・9日《イル・トロヴァトーレ》(シアター1010)→舞台写真はこちら
- 2018年7月7・8日《ナブッコ》(シアター1010)→舞台写真はこちら
- 2019年10月19・20日《マクベス》(シアター1010)→舞台写真はこちら
当プロダクションの特色
当プロダクションは、
- オーケストラ及び舞台を伴う上演である点
- 第一線で活躍するプロの歌手や演奏家を中心に、実力のあるアマチュア音楽家も参画し、高いクオリティの演奏を前提とする点
- 旗揚げ当初から一貫して、指揮者と演出チームが制作・上演の中心的役割を担い続けている点
- ヴェルディの作品上演に特化している点
を特色としています。
アーリドラーテ歌劇団の源流
アーリドラーテ歌劇団の源流は、私の学生時代にさかのぼります。
東京大学歌劇団時代
私は大学在学中、東京大学歌劇団の総監督・指揮者として、《ドン・ジョヴァンニ》《アイーダ》《こうもり》《エフゲニ・オネーギン》《カルメン》を指揮しており、オペラに開眼するに至りましたが、私とともにアーリドラーテ歌劇団の活動をリードする演出家・木澤譲氏との出会いも、ちょうどこの時期のことでした。
木澤氏は偶然にも《アイーダ》の助演ダンサーとして東京大学歌劇団の舞台に立ちましたが、手作りの巨大なパネルが林立し、手書きの象形文字で埋められた舞台セットを目の当たりにし、心が動かされたとのことです。《こうもり》からは、演技指導や演出として、私の指揮する公演に携わるようになりました。
アーリドラーテ歌劇団の立ち上げ
卒業後は、私は駆け出しの弁護士として業務に忙殺され、木澤氏は小澤征爾音楽塾や東京オペラの森等で研鑽を積んだ後にニューヨークで活動することとなり、しばらくは各々の道を歩みましたが、2008年に再会した折、双方から開口一番に、ヴェルディ上演に特化した歌劇団旗揚げの話が持ち上がり、当プロダクションがスタートするに至りました。
旗揚げ当初は、どちらかというとアマチュア団体としての色彩が強いものでしたが、2014年に私が日本オペラ振興会・藤原歌劇団の評議員を拝命するなど、いくつかの転機が訪れ、第3回公演《リゴレット》からは、プロを中核に据えた活動形態への移行を進めました。
飛躍の道筋
そして2017年の公演《イル・トロヴァトーレ》では、当プロダクションの基本方針、すなわち、プロ・アマチュアを問わず、多彩なバックグラウンドをもつ個性豊かな実力者・職人たちが集い、ヴェルディへのリスペクトのもと、全員参加型のチームワークで、高水準の舞台を創出する、という他にあまり類を見ない方向性が、ようやく確立するに至りました。
公演の模様については、公式Webページにて舞台写真を公開中ですので、そちらをご覧いただければと存じます。→こちら
第5回公演《イル・トロヴァトーレ》
本公演において、個人的にこだわったポイントは、二つありました。
(1) 舞台を彩る照明・美術とヴェルディの音楽との相乗効果
第一は、舞台を彩る照明・美術とヴェルディの音楽との相乗効果です。
ホワイトボックスのキャンバス、ポップで刺激的な照明
今回の舞台では、ホワイトボックスのキャンバスに、ポップで刺激的な照明を射し込むことで、エンターテインメントのような躍動感を目指しました。
演奏や芝居はオーソドックスであっても、その魅せ方においては、現代人の感性に直接的に訴える手法を大胆に採用すべき、という私たちの考えに基づきます。
演出家・指揮者・照明家が三位一体、小節単位での緻密な照明プラン
一方で、実際に照明プランを構築するにあたっては、演出家・指揮者・照明家が三位一体となり、楽譜の小節単位での緻密なプランニングを行っています。
具体的には、ヴェルディが各場面に与えた音楽のリズムや調性感を、徹底的に視覚化することで、目と耳の両面から《イル・トロヴァトーレ》の世界に没入できるよう、細部までこだわりをもって創りこみました。
なお、今回のプランでは、登場人物の性格や心情の緻密な描写に注力し、具体性をギリギリまで排除しているため、世界各地で採用されているような映像投影という手法は用いていません。
音楽の源泉から汲み上げた、清潔・無垢な舞台
《イル・トロヴァトーレ》の場合、よく見られる演出では、炎や戦闘という荒々しいモチーフが前面に押し出され、血の匂い、背徳、反逆、異常なもの、偏奇なものが強調される傾向にあるように思われます。
しかし、これは私の個人的な印象ですが、音楽自体を紐解くと、素朴な青春讃歌ともいうべき箇所が多く目につきます。
オーケストレーションについても、旧来のリコルディ版では、フォルテやアクセントが重ねられ、分厚くマッチョな記譜がなされていますが、シカゴ大学の批判校訂版を見直すと、むしろ明るく軽やかな印象です。
そのような音楽の源泉から汲み上げようと試みたのが、今回の清潔・無垢な舞台でした。
初めて作品に触れる方はもちろん、すでに作品を熟知している方にとっても、新鮮でありながら、どこか温もりを感じ、ヴェルディの描いた音楽・ドラマの素晴らしさに想いを馳せることができる、そんな舞台に仕上げられたのではないかと思います。
(2) イタリアの小都市のオペラハウスのような空気感の演出
第二は、イタリアの小都市のオペラハウスのような空気感の演出です。
舞台と客席を間近に感じる、馬蹄形の芝居小屋
本公演から使用するシアター1010は、約600席の馬蹄形の劇場で、舞台と客席を間近に感じる臨場感を満喫できます。
演劇を中心とした芝居小屋であり、舞台機構が充実していることに加え、舞台上の歌手の声が客席にまっすぐ届くという特長も持ち合わせます。
クラシック専用のホールではないため、違和感を持った方もいらっしゃったようですが、私個人の意見としては、日本のホールはどこも響きが豊かすぎ、ヴェルディやそれ以前のイタリアオペラの上演には不向きです。
これこそがイタリアの小都市のオペラハウス
少なくともイタリアの小都市のオペラハウスは、基本的には、数百席の馬蹄形の劇場であり、声はよく届くものの、響きはデッドで、生音に近い設計になっています。
むしろ誤魔化しの効かない環境において、オーケストラや合唱から、ヴェルディらしい香りが醸し出せれば、それこそがヴェルディの音楽であり、皆様の心をイタリアの小都市のオペラハウスに誘うことができると考え、この劇場を選んだ次第です。
公演後の反響
公演後のアンケートでは、出演した歌手陣はもちろんですが、オーケストラや合唱に対する讃辞の声も多く頂戴しました。
若手プロ奏者らを中心とする少数精鋭のオーケストラ
今回のオーケストラは、国内外での演奏経験が豊富な若手プロ奏者らを中心とする少数精鋭であり、過去の公演から連続して参加を続けてくれる仲間も増えたことから、現段階としては納得のいくヴェルディサウンドに仕上がりました。
明るくパワフルな歌声と澄んだ美しいハーモニーが魅力の合唱団
また前回《ドン・カルロ》に続く出演となった合唱団は、プロとアマチュアが一緒に団員・仲間としてつくりあげるという特色を有しますが、その明るくパワフルな歌声と澄んだ美しいハーモニーは、プロのオペラ合唱団にも比肩するほどの充実ぶりでした。
ヴェルディ作品の上演の鍵は、舞台に関わる全員のチームワーク
ヴェルディ作品の上演は、スター歌手だけでは成り立ちません。舞台に関わる全員のチームワークが成功の鍵を握ります。
「冷静な頭と温かい心」を持ち合わせた良きメンバーが集い、アットホームなおおらかさのもとで、ビシッと成果を上げる、そんなイタリア的な感性に手応えを感じる公演となりました。
オペラ制作・上演の「非」合理性
さらなる飛躍を目指して
おかげさまで、アーリドラーテ歌劇団は、2011年旗揚げ公演以来、紆余曲折を経ながらも、結果的には、個性と才能にあふれる良き仲間の輪が広がり、公演のクオリティも着実に進化を遂げ、いわゆるリピーターを含む多くのお客様からご声援頂けるプロダクションへと成長することができました。
収支を考えなければ、順風満帆ともいえる環境にあり、さらなる飛躍を目指していけるものと確信しております。
事実上「破綻」している台所事情
しかしながら、台所事情に関しては、旗揚げ当初から事実上「破綻」しており、改善の兆しは全くありません。これは当プロダクション固有の事情というよりも、むしろオペラ制作・上演という活動それ自体に内在する構造的な問題と思われます。
作業工数と手間がハンパない
そもそもオペラ制作・上演は、経済活動という観点からは「非」合理なものです。
制作に関していえば、歌手、合唱団、オーケストラメンバーとの出演交渉からはじまり、スケジュール調整、リハーサル場所の確保、使用楽譜やレンタル楽器の手配、各方面への広報・営業、チケット販売、チラシ・プログラムの作成・印刷、会場運営、コスト管理等、あらゆる事務作業が発生します。関係当事者が多岐にわたるため、通常、その調整は困難を極め、一個人のキャパシティを超えてしまいます。
当プロダクションの場合は、チームワークがスムーズに機能していることに加え、演出関係で生ずる事務はすべて演出チームに任せることができ、また細かい作業については多少なりとも仲間の協力が得られているので、制作に関しては何とか一人で全体をまわせていますが、それでも実際に生ずる業務量は、私自身が弁護士業務に費やす総時間数を明らかに超えているのが実情です(なお、私の場合は、制作に係る業務に加え、指揮者として、作品を勉強し、リハーサル計画を策定し、何よりも自身のスキルと経験を高めていくことも求められます。)。
要するに、通常のコンサートの主催と比べると、何倍もの工数がかかり、それらを一つのプロジェクトとして束ねていく必要があるため、合理的に考えると、一個人として挑むにはあまりに無謀な活動といえます。
どう転んでも赤字にしかならない
しかも当プロダクションが行う規模のオペラ制作・上演においては、本来的に損益分岐点が存在し得ません。別の言い方をすれば、二日間の上演をすべて満席にできたとしても、多額の赤字を覚悟しなければならず、空席が生ずれば、それだけ赤字が膨らみます。
当プロダクションの場合、指揮者と演出家は無償奉仕(むしろ多額の持ち出し)としつつ、各方面にご理解ご協力をお願いし、ギリギリまでコストを削減し、同規模の公演における通常予算の半分ないし3分の1にまで費用を圧縮してもなお、赤字からの脱却には程遠いのが実情です。
財政基盤や支援団体を有しないプライベートカンパニーゆえ、生じた赤字については、その全額が主宰者である私の責任となります。
ふつうは自力でやろうとはしない
どう転んでも赤字にしかならない事業ですから、当該事業それ自体のもつ広告宣伝効果やその他関連事業との相乗効果等の何らかのメリットが見出せない限り、合理的な企業・組織・事業者が自ら進んで取り組むことはあり得ないでしょう。
昨今、少なくとも首都圏では、プロからアマチュアまで多くの団体がそれぞれの個性を活かしつつ多種多様なオペラ公演を展開していますが、オーケストラ及び舞台を伴う本格的なオペラ上演を高いクオリティで継続するプロダクションは、国や地方公共団体等から多額の助成金や支援を受ける団体や、大学が教育の一環として取り組む場合等を除くと、稀有といわざるを得ません。
著名な団体の本公演や海外からの引っ越し公演もよいですが、ヴェルディのオペラのさらなる普及のため、当プロダクションはもちろんですが、これに限らず、オペラの本格的な自主上演に真剣に取り組むプライベートカンパニーによる公演には、ぜひ足をお運びいただき、ご声援頂ければ幸いです。
なぜやるのか?私の目指すこと
私なりの社会への「貢献」、そして壮大な「夢」
当プロダクションを通じた活動は、私なりの社会への「貢献」と考えています。
上述のように、オペラ制作・上演は、本来的に「非」合理的な活動といわざるを得ません。
それにもかかわらず、私がヴェルディの自主上演に人生を捧げているのは、ヴェルディをキーワードにした「コミュニティ」の再生という私なりの壮大な「夢」があるからです。
日本人本来の良識や品格が失われかねない現実
スマートフォンに飼い慣らされ、人工知能が台頭しつつある昨今、巷には、画一化された娯楽が満ち溢れており、しばしの快楽や欲望は、何の苦労もなく、クリックひとつで手に入ります。
しかしその背後で、心と感情が希薄化していることに危機感を覚えます。
現代社会を支配する利権の闘争や安易な商業主義のもとでは、心のよりどころを失った個々は、疑心暗鬼になって互いを傷つけあう一方で、思考停止に陥って偽善者らによるプロパガンダに扇動されやすくなっているようです。
この現代の潮流を目の当たりにすると、日本人本来の良識や品格が失われる日も遠くないのではないかと悲観せざるをえません。
ヴェルディの作品は人や社会を顧みる手がかりの宝庫
知性や良心は文化により育まれます。
ヴェルディの作品は、人や社会を顧みる手がかりの宝庫であり、人々を奮い立たせるエネルギーに満ち溢れています。
ヴェルディを旗印に、良識と品格を兼ね備えた多種多様な人々が集えば、強い絆で結ばれるはずです。
そして各々が立場を離れて心を通わせれば、そこには文化的な「コミュニティ」が再生されます。
ヴェルディへの愛から醸成された信頼関係は、現代日本社会に蔓延する閉塞感を打開する鍵になると信じてやみません。
私たちの舞台を通じた知と感性の対話により、心の共鳴が再生され、そして拡がっていくことを切に願っている次第です。
皆様方からの熱いご声援が支えです
以上のような信念のもと、今後も私は当プロダクションを通じた活動を続けて参ります。
皆様方からの熱いご声援を支えに「黄金の翼」をさらに羽ばたかせて参ります。多くのヴェルディ同志の皆様方のご来場を心よりお待ち申し上げております。
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